リップクリーム2

彼には全く分からなかった。
突然彼女が自分の前から消えた理由も
また彼女が自分を好きになった理由も
何もかも謎のまま宙に投げ出された。
まるで白昼夢でも見ていたのか。

寒いな。空を見上げて舞い散る雪達が冬を伝える。今日は特に身に沁みる冷たさ、地球の冷却化と比例する心境だ。小学生並みの平熱の高さには自信があるのに、心につられ身体も急に熱を失ってしまった様だった。

…ポケットに入っていたはずのリップクリームがない。そうだった。彼女の家にあの日、置き忘れてきた。
…大切な何かと共に。

初めて出逢った時、まともに彼女の瞳を見る事も出来なかったくせに、
第六感は、強烈に変化する空気感を味わった。互いに。そう互いに。
確かに彼女は僕好みの外見だった。
ドストライクにも程がある位。
しかしそれだけではない何かが。
こんな引力を異性に覚えた事はなかった。羨望混じりの…今まで見てきた女性達とは、少し違う次元を生きてる様な不思議な人だった。
器用な振る舞いで掴み所が無いのに、
時折見せる圧倒的な人間らしさ。
絶妙なアンバランスさに酷く惹かれた。些細なきっかけから加速して、
仕組まれていた位完璧な僕達の恋は幕を開けた。

単純に毎日がやる気に満ちた。早く彼女を守れる様な男になろうと僕は己に誓った。もう駒は揃った。後は追いつこう、それだけで十分だと思った。

夢半ばの夢を語るなんて、変にプライドの高い僕は、今まで他人に熱く語る類のそれを苦手としてきたのに、
彼女には全て以上をさらけ出している自分に気付いた。
何もかもを知って欲しかったし、
それが許されている気もした。
彼女はいつも笑顔で僕を肯定し、
背中を優しく押してくれた。
他人に対して警戒心の強い僕を、
穏やかに極自然に解いていく魔法。
今迄どんな道を生きて来たのか。

ある日、時代のせいには出来ないが、
彼女を不意に傷付けた僕がいた。
逆もしかり。電波に振り回され不快感を与えるなんて、残酷な進化を果たした現代で、僕等は愛に堕ちていた。

昔、尊敬する大先輩が、一人の女も守れない男は大きな夢も果たせない、なんて繰り返していたが、当時は全く理解できなかった。夢の片手間が恋愛なんじゃないかと聞き流していた。

未熟な僕が彼女にしてあげられる事は限られていて、情けないが、負担になったりしたのかもしれない。 それでも僕の隣りで笑う彼女は、偽りの影もなく幸福そのものの形をしていた。

深い愛を瑣末に扱ったのは僕の方だった。信頼という名のもとに。未来があるという根拠のない安心感のもとに、存在をおざなりにしてしまった。

でも何故いきなりこんな消え方をしたんだ?ずっと一緒だって、あんなに囁き合っていたのに。前世で離れてやっと出逢えたね、51回目位かな?なんてくすぐったい会話を散々して、もう誰も要らない、探す理由がなくなったと嬉し涙を浮かべていたじゃないか…。

彼はふと立ち止まった。
通り道に光るイルミネーション。
見に行こうと誘った時の綻んだ彼女のはしゃいだ姿がよぎる。

彼女は一体何を考えていたんだろう?
もう隣には他の男でもいるのか。
あるいは最初から僕への愛さえ…
気付くと頬に涙が伝っていた。
情けない男だな。自分を責めたり、彼女を責めたり、あの日々さえ曇らせ…

乾いてる唇が求めているのは、リップクリームではなくて、彼女の唇の温もりだけだ。不在で気付くだなんて。

追いかけて真意を問い掛ける勇気もない。今更ながら、彼女が見えない何かに苦しんでいた事も、輪郭をうっすらとしか理解出来ていなかった自分を恥じる。矛盾だらけのあてのない自問自答ばかりが空を切る。

許されない事なのだろうか。
もともと僕達の未来は交わる運命にはなかったのか。運命ってやつを変える力はこの手にないのだろうか。

二人で聴いていたあの曲が、ふと街中で流れ出し、心臓がえぐられそうになり、ヘッドホンで遮った。

ある時、華奢な腕を掴み、指何号?と訊ねた。彼女は、分からない、買った事も貰った事ないの、この歳まで一度も、と笑った。いつか僕がその薬指に…固い決意とは裏腹に、透明な指環しかあげられなかった。

恋しさも愛しさも苦しさに変換された。あの笑顔を失ってしまった僕は、これからどう歩けば…。世界一の味方を失ってしまった絶望感。

さよならも言わせてくれないのか?
もう二度と触れる事は叶わないのか?
他の誰かとでは、あの愛を越えられる訳ない。唯一無二の世界だった。

高鳴る鼓動を抑え、深呼吸しながら彼女の携帯を鳴らす。…。…。…。
繋がらない。返信もない。
僕達は本当に終わってしまったのか。
もう何も届かないのか。

逢いたい。ただ逢いたい。


to be continued later.

(2013.December)

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